エスニックツーリズム@チェンマイ
こんにちは、まちあるきガールです。
今回はタイ留学中に訪れた少数民族村
そもそもなぜタイ留学に?
大学一回生のこと。私はもともと「国際観光」の領域を学びたいと考えていました。
その時に受講した授業をきっかけにあらゆる形態の観光があることを知りました。
エコツーリズム、アグリツーリズム、ダークツーリズム、宗教ツーリズム、ロケツーリズム、ヘルスツーリズム……
中でも、「エスニックツーリズム」という「人」を商材にしたツーリズムに強い関心を持ちました。
「首長族」
彼らはエスニックツーリズムの対象として有名でしょう。彼らに関する資料を読み、彼らのおかれている状況に関心を持ちました。会いたい。まずは「観光客」としての視点を持って。
そして、私はタイ留学を決めました。(結局、タイの大学ではこのトピックをメインで学ぶことはできませんでしたが…^^;)
観光資源として取り込まれた少数民族
タイにはミャンマーと隣接している所を中心に多くの少数民族が暮らしています。
きっと、国家という概念がなければ、彼らは自由に移動し、ここまで問題視・厄介者扱いされることはなかったでしょう。
しかし、「国家と政治」システムがグローバルに支配している今の地球。彼らの行き場をどこに設定するべきか。
タイ政府は彼ら少数民族を「観光産業の発展政策」に取り込むことにしました。
世界中には、日本も含め、ミクロ・マクロの規模で様々な文化が存在しています。
気候、土地柄、歴史...etc
あらゆる要因によって「時間軸」「空間軸」で文化に差異が生じます。
その差異を比較したとき、
「多数派」の先進国の人々は自らを中心≒常識として捉え、「少数派」の少数民族の人々をある種、奇異なまなざしで”観察” ”観光”するのです。
少し批判的になりすぎましたかね。けれど、私はやはり、エスニックツーリズムの在り方ひとつとて、最適な在り方は何かというものを真剣にとらえていく必要があると思うのです。
ワタシの想い
真剣にとらえ、議論した上での結果を「現在の有りよう」としていきたい。
そして、その議論は止むことなき議論であるべきだと思います。なぜなら文化というものは常に変化し続け、「そこに存在する人」も変わると思うからです。人が変わるというのは、AさんがBさんに変わるということだけでなく、Aさんの内部も変わるということです。
端的に捉えることのできぬツーリズムの問題。
もっと学んで、ワタシなりの考え・答えを導き出していきたいと思います。
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